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銀行、リクルート、阪大准教授を経て、サイボウズ取締役へ ~モノグサ新役員のキャリアに迫る~【前編】

2023年7月よりモノグサの非常勤取締役として、サイボウズ取締役の林忠正さんに参画いただきました。

そこで、前職時代から親交の深かったモノグサCFOの細川より、林さんに様々なお話を聞かせていただきました。
前編では、林さんのAmazingなキャリアに迫ります。

銀行時代にHR領域へ興味を持ち、リクルートへ

モノグサ CFO 細川 慧介

細川:この度は改めて、モノグサの新役員として参画いただきありがとうございます。改めて宜しくお願いいたします。

:こちらこそ、ありがとうございます。宜しくお願いいたします。

細川:私からこの機会に林さんについて、色々とお聞き出来ればと思い、お話を聞かせていただきます。
早速ですが、林さんのご経歴からお伺いしたいと思います。最初はどのようなお仕事をされていましたか?

:大学を出てから3年程司法浪人をしていた時期があったのですが、その後大学院を卒業し、28歳になる年に銀行へ就職したのがキャリアのスタートになります。大学院で会社法を学んでいたので、投資銀行部門の専門職としてM&Aセクションに配属される前提で採用されました。

半年の社内研修を終えるとすぐにM&Aフロントの現場に放り込まれ、1年ほどディールのフロントなどを担当していました。入社した銀行は良くも悪くもすごく丁寧に人を育ててくれるところがありました。ある時先輩に「28歳で始めて、M&Aの世界で一人前になるまで何年かかりますか?」と聞くと「8年くらいかな」という答えが返ってきたんです。当時の自分としては、スタートが遅かった分、早く成長したいという気持ちが強く、一人前になるのが36歳だとこれは結構遅いなと思い、成長速度が速いと評判のリクルートに転職を決めました。

細川:そのキャリアであれば様々な選択肢があったと思うのですが、なぜリクルートを選んだのでしょうか?

:銀行で採用業務にも関わっていたこともあり、次第に金融や法律よりもHR領域に興味が移っていきました。さらにHR領域の中でも成長感が得られる会社に行きたいと感じていました。そこで、それらを実現できる転職先としてリクルートを選びました。
幸運にもちょうど転職の時期と、リクルートが中途採用を一気に始める時期とのタイミングが合っていました。加えて当時は銀行やコンサル出身者の採用を強化していたようで、自分の経歴もマッチしていたようです。

細川:リクルートではどのような職種を経験されたんですか?

:最初に営業として入社してから、事業企画部門、営業部の企画担当者、中途領域の企画部門、代理店セクションと様々な職種を経験しました。ここでは本当に多様な経験を積ませていただきましたね。

伸び悩みを感じていた時期に、大阪大学の准教授に就任

細川:リクルートの次に大阪大学の特任准教授に就任されたとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか?

:リクルートの中で何となく伸び悩んでいると感じている時期でした。たまたま母校の大阪大学から企業や経営者と大学の結びつきを強くするプロジェクトの教員を募集しているとのオファーメールが来たんです。ポジションも任期付きとはいえ准教授からのスタートとなっていて、珍しい募集だなと思いました。軽い気持ちで応募したのですが、なんと通ってしまい、こんな機会はそうそうないと考え、思い切ってリクルートを飛び出しました。
ちなみに飛び出した直後に、リクルートは上場しましたが(笑)

阪大の准教授という役割を得て驚いたのは、様々な企業や経営者とのコンタクトが圧倒的にしやすくなったことです。リクルートで営業をしている時は、100本電話をかけて1つ取れれば良いくらいの感覚でしたから、とてもギャップを感じましたね。
もちろん結果に繋がるまでには別のハードルもあるのですが、色々な経営者に会って話を聞けたことは貴重な経験になりました。

細川:大阪大学の准教授としては何年くらい勤めたのですか?

:2011年〜2013年の2年間です。年齢で言うと36歳〜38歳になります。
それまでの仕事では夜遅くまで働くのが普通だったのですが、阪大では17時過ぎには帰れたので、ある意味、時間を持て余してしまいました。そんな中で、以前の自分の仕事について色々思い返して掘り下げていると、当時もらっていた様々なパズルのピースがはまって「今だったらもっとうまくできるな」と感じることが多くなってきました。そこで自分の実力をもう一度試してみたいと段々思うようになりました。

大学の仕事でも、やりがいのある仕事は多いのですが1つのプロジェクトに時間がかかるものが多いです。公的機関でもあり、意思決定のプロセスが複雑なので一つの企画を実現するにも長い時間がかかってしまいます。もっとPDCAサイクルを勢いよく回せる環境に踏み込みたいと考えるようになりました。

遠くを見据える社長に惹かれ、日本有数のSaaS企業・サイボウズへ

モノグサ 非常勤取締役 林 忠正

細川:そこからサイボウズに転職されたとのことですが、きっかけは何でしたか?

:阪大のWebページにOBインタビューとして、サイボウズの青野社長の記事が載っていたんです。それを読んでなんだか面白そうな会社だなと思いました。採用情報を見ると営業職と経理のマネージャー以外に特に募集はなく、自分は当てはまらないかもしれないなと思いながらも、とりあえず履歴書を送ってみたんです。すると「ちょっと会ってみましょう」という流れになって、直近で開催された新卒説明会に呼ばれて、新卒の方々と一緒にお話を聞きました。

細川:新卒の方々に混ざって、林さんがいらっしゃるのは不思議な感じですね(笑)

:そうですね(笑)。
そこで改めてお話しさせてもらうとやはり面白そうだと感じて、チャレンジしてみようと決意しました。

細川:面白そうだと感じたのは具体的にどのようなところでしたか?

:一番の決め手は、社長が遠くを見据えていると感じたことでした。当時はまだ売上50億円ほどの規模であったにも関わらず「MicrosoftやGoogleと戦った時にどう勝つか」という話を真剣にしていて。日本のソフトウェアでこれができるんだったら、面白い波に乗れそうだなと感じました。給与面では他にもっと条件の良い会社にも行けたのですが、自分がグッと来たのはサイボウズだったんです。それで家族を説得して転職しました。

細川:サイボウズに入ってから、現在何年目になりますか?

:ちょうど10年です。自分のキャリアでサイボウズが最も長いですね。

細川:サイボウズに入社してからの経験について教えてください。

:最初は採用したものの、私の経歴が特殊だったことでどこに配属したらよいかわからなかったようです(笑)。
そこで営業セクションのトップにいた方が預かってくれることとなり、営業の担当役員付きの企画職という形になりました。入社初日の打ち合わせで役員の方から「とにかく自由にやってください」とだけ伝えられて、5分ほどで終わったのは今でもよく覚えています。まずは自分の経験を踏まえ、模索しながら少しずつできることを見つけていきました。
それから9ヶ月ほどでマネージャーとなり、マネジメントや調整的な役割を担うようになってきました。それが評価されていたのもあって、その後創設された経営企画室に預けられることとなり、同時に執行役員になりました。

細川:林さんが執行役員になられたのは何年前ですか?

:もう7年前です。入社して2年ほどで執行役員にしてもらいました。とはいえ、サイボウズの執行役員って別に特別な権限があるわけではなく、ただの対外的な呼称に近いです。それよりも本部長と呼ばれる、いわゆる部門責任者として部門内における強い意志決定権を持つ役割に就く事の方が対内的な影響は大きいですね。
私は執行役員と本部長になるタイミングが同じだったんです。入社からかなり早かったと思うので、その時にみんながどう思ってたかはちょっとわからないところですね(笑)

細川:林さんがサイボウズに入社した時の従業員数と、今の従業員数ではどのくらい違いますか?

:私が入社した時は300人ほどで、今は1000人を超えています。

細川:それで取締役になられたのが2年前ですよね。経営を担う立場として、何か大事にされていることはありますか?

:モノグサでも同じだと思うのですが、プロセスはなるべく公開してみんなから意見や判断の材料を提供してもらうようにしています。特に今のような変化が激しい時代には、こうしたやり方が適しているのではないかと感じています。
こうしたプロセスのオープン性や、皆さんが意見を言う機会を創出することについてはわりと強めにこだわっているつもりです。

細川:自分の信条というよりは、今の外部環境やサイボウズのビジネスモデルの中でその方が良いと判断した感じですか?

:そうですね。昔はマーケットもそんなに複雑じゃなかったし、経営陣の年長者が成功体験に基づいて何となく決めてもそんなに外れない時代があったのだと思います。
でも今は顧客や競合の動向・マーケティング手法などあらゆる要素がどんどん変化していきますし、それを一番知っているのは現場の人たちなので。その方々の意見を聞かずに経営陣だけで意思決定するのはほぼ不可能じゃないかと思いますね。
もちろん最終的な意志決定は経営のプロが担うべき役割となりますが、そのための材料については現場の意見を含め広く取り入れることで、最も適切な判断に繋がるのではないかと考えています。

幼少期は、規則に縛られない自由な性格だった

細川:様々な経験を積まれてAmazingなキャリアを歩まれている林さんって子どもの頃はどんな人だったんですか?

:超マイペースだったと思います。小学校で集団登校の班長だった時も、家の前に近所の子が集まってるのにゆっくり朝ご飯を食べてたくらい。いつまでも班長が出てこないので、弟がみんなを学校に連れて行ってました。

細川:林さんはすごくマネジメント業務をされていますし、そんなにマイペースな感じはしないですけどね。

:それは後々の話ですからね(笑)プロとして仕事をきっちり行う部分と、自分のスタイルは別だと考えています。「集団登校も立派な仕事だ」と言われれば、その通りですが・・・。
あと、あまり規則に縛られる感じでもなかったですね。しょうもない話なんですが、高校の時に臨海学校の日が「ファイナルファンタジー4」の発売日と重なっていたんです。そこで友達と仮病を使って買いに行ったのですが、あまりの人気で売り切れてしまい結局欲しくもない「がんばれゴエモン!!」というソフトを買って帰りました。これなら臨海学校に行っておけば良かったと後悔しましたね。

細川:それは残念でしたね(笑)。反骨精神旺盛というわけではなく、あくまで自分がやりたいことをするマイペースな性格だったということでしょうか?

:そうですね。別に守らなければいけないことは守るけど、他人に迷惑がかからないことについては自由にさせてほしいよねと。今はもうちょっと大人になっています。

細川:そこは自分の中でラインがあるんですね。林さんがこれまでAmazingなキャリアを歩まれてきたのは、常識というか規則に縛られないからというのもあったんでしょうね。

:そうかもしれませんね。

後編へ続く!

後編では、林さんから見たモノグサと、林さんの仕事観についてお話しいただきます!