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日本のスタートアップで1年間働いてみた。~ウクライナ避難民留学生のインターンレポート~

2022年9月より、モノグサの広報チームでインターンシップしているウクライナ出身のマックスです。
入社させていただいてから、1年間たつので、学んできた・悩んだ・成長できた、つまりモノグサ社におけるストーリーをお伝えしたいと思います。
今モノグサをやめるわけではないですが、一つの区切りとして、記事を書きました。


日本に来る前に

私は、2004年8月8日に南ウクライナに位置しているムィコラーイウという街で生まれました。小学校・中学校・高校は全部一緒なので、11年間同じ学校に通っていました。

ムィコラーイウ市の位置

日本に興味を持ったきっかけはアニメでした。子供だった時にテレビで「セーラームーン」を観ていたんですけど、記憶はあまりないです。覚えている限り初めて見たアニメは「ダーリン・イン・ザ・フランキス」でした。そのアニメを見た時、感動は非常に強くて、字幕を抜いて日本語がわかるようになりたいと思いました。

最初はできるだけ自分の力で日本語を頑張ってみて、何とか平仮名とカタカナを覚えてきました。ただ、私は怠け者なので、うまく続けられなくて、半年ぐらい進歩しませんでした。

だが、日本語への興味はまだなくならなくて、ほぼ毎日日本のアニメを見ていました。ある日、インスタのターゲティング広告で、日本語教室のお知らせを見ました。その日本語教室のビクトリア先生は大学で日本語を勉強し、3年間奈良に住んでいました。私はビクトリア先生に日本語を習うことにしました。先生は日本語教育の天才だからこそ、私は先生の指導によって日本語の基本がちゃんと身につきました。

高校に入ってから、かかわっているアクティビティが多すぎたので、アニメを見る時間は無くなって、あまり観なくなりました。けれども日本語の勉強は好きだったので、日本の大学に入ることも考えていました。なので引き続き、3年間ビクトリア先生の学校で日本語を学び続けました。

2021年、キーウ国立航空大学のサイバーセキュリティ学部に入学してから、キーウに引越しました。あの時は普通の大学1年生の生活をしていました。やっていたアルバイトはバリスタとバーテンダーだったので、知り合いのネットワークも広かったし、お酒も詳しくなってきたし、ある程度遊んだともいえるかもしれません。今でも思い出して笑えることが多くて、その期間も大事だったと感じています。

大学1年生でお笑いパフォーマンスしている私(2021年、17歳)

来日してから

そのような生活はロシアによる侵攻まで続いていたのです。もちろん戦争のようなことは人生に大きい影響を与えますが、まだ言語化がうまくできないところもあるので、いつか別の機会があれば戦争の思い出も述べたいと思います。短く言えば、3か月ぐらいキーウに住み続け、2022年の5月末に来日しました。

「何で日本を選んだのですか?」とよく聞かれます。私の場合は、来日したことと戦争は関係ないのです。高校時代からは、「若いうちに、いろいろな視点から世界を見たい」、「世界観を広げたい」、「いつも新しいチャレンジしてみたい」という考えを持っています。

ウクライナで生まれた私にとって、一番違うと感じる文化で、気になる国はアメリカと日本だと考えていました。たまたま戦争がきっかけで日本に行くことが出来る機会があったので、何をやるか、具体的な想像がついていないとしても、あまり迷わずに行こうと決めました。

日本に来た日は今もよく覚えています。2022年5月28日でした。私の来日を手伝ってくれたのはパスウェイズ・ジャパンという財団です(以下PJ)。PJはシリア、アフガニスタン、イラン、ウクライナからの難民・避難民を受け入れている財団です。

日本に来てから、仕事は重要だと理解していました。また、日本語を成長させたければ、日本人しかいない環境に入らないといけないとも思っていました。

過去に身につけたバリスタのスキルが役立つ仕事がいいのではないかと考えて、去年の8月にスターバックスのシャポー小岩店でアルバイトをし始めました。

同時に、PJを通じて、あるIT企業からインターンシップを募集している情報がきました。そのIT企業は、モノグサ株式会社でした。

日本で初めて撮った写真(ウクライナには自販機がほぼないです)

入社までの道

モノグサのインターンシップ募集の条件は私と非常にあっていました。日本語能力検定(JLPT)N3以上の日本語レベル、基本的なITスキル、コミュニケーションが好き、ということでした。アルバイトの時間は元々週2でリモートでもできる仕事だったので、既にやっていたスタバのアルバイトも辞めなくてもよかったです。それで、私は申し込みました。

程なく面接に誘っていただきました。あの時、自分の日本語に自信があまりなかったので、できるだけ明るく心から話すしかないと考えました。面接はすごくフレンドリーな印象でした。記憶はあまりないですけど、一つのエピソードをよく覚えています。

面接のとき、シンプルな技術テストが行われました。マニュアルを読みながら、csvというシートのフォーマットで簡単な問題をMonoxer上で作成するということでした。やることはシンプルだったのですが、当時の私の日本語能力は全然高くなかったし、csvというフォーマットについて聞いたことがあったのですが初めて触っていたので、マニュアルを読んでも30%しか理解できませんでした。自分のIT感覚を使って、どうにか解決できましたが、振り返るとすごくやばかったんじゃないかと思っています。(笑)

モノグサの面接の流れでは社員とボードゲームをすることもあります。ボードゲームは会社の大事な文化だから、面接の後で、モノグサの社員とボードゲームをするのです。私の時はルールがシンプルなコヨーテというカードゲームをやりました。確か、私は勝った気がしています。(笑)

「面接が終わってから、2週間の間に結果を伝える。」といわれてました。ただ、私がまだ家に帰っていないうちに、面接の30分後「よろしければ一緒に働きたい。」というメールが来ました。その時の私は「超うれしい」と言っても、過言ではありませんでした。それで、2022年9月6日から私はモノグサ株式会社に勤めています。

幸せなメール(笑)

モノグサのみなさんと初対面

初めてオフィスに来た日は、秋くらいの時期だったこと以外はあまり覚えていません。個人的には日本語や慣れていない環境のため、ストレスが多くて、脳は何も残さなかったと思うのです。

しかし、チャットのメッセージとカレンダーの登録でいろいろなエピソードを思い出すことができました。

最初に言いたいのは、当時の私の日本語は本当に下手でした。会社での会話はおそらく50%くらいしか理解していませんでした。あのような状態で働けたのは今本当にすごいと思っています。この経験で、言語能力にかかわらず、頑張れば、なんとかなるとわかってきました。

入社当初の経営陣との1on1をよく覚えています。最初はCFOの細川さんでした。初めて会った時、「あ、細川さんは私の叔父に似ているんじゃないか」と思いました。叔父とあまり仲良くないですが、30分のミーティングの中で細川さんのことはすごく好きになりました。

次に、CTOの畔柳さんでした。畔柳さんは落ち着いている方の印象がありました。最後にCEOの竹内さんです。竹内さんはすごく元気で、自分が作った会社を非常に大事にしている人、という印象でした。経営陣との1on1の経験を含めて、最初からモノグサはすごくいい会社だと思っていて、今でもその気持ちは変わっていません。

モノグサでの仕事

私の最初の役割は日本に避難してきたウクライナ人に向けて、Monoxerを通して学習するための日本語学習の問題集を作成することでした。まず最初に、外国人がほぼ受験している日本語能力試験(JLPT)のレベルに基づいて、いろんなレベルの人にとって役立つ問題集を作ろうと考えました。

当時、すごく熱心にやっていたとはいえないかもしれませんけど、どんどん問題を作成して、12月までにひらがな・カタカナの基本的な問題、日本語能力試験のN5〜N3レベルに役立ちそうな問題は作成完了しました。(500問ぐらいでしょうか。)

現在モノグサにあるウクライナ避難民向けの問題集

問題を作りながら、Monoxerのことをもっとウクライナ避難民に広く、深く届ける必要性も出てきました。
そこで最初は、Monoxerを使っていただいている方々へのMonoxerの理解度を高めようと考えました。そのため、12月まで2週間に1回のペースで説明会を行うことにしました。説明会のおかげで、Monoxerを好んでいる人たちによる初めてのコミュニティーを作ることができました。

その後、人数が順調に増えてきたので、説明会以外にも、Monoxer関連の情報やお知らせをお伝えできる環境を作る必要がありました。ウクライナ人の中で多く使われているTelegramというSNSを活用してグループを作ることにしました。作ってみたら、反応はとても良かったです。コミュニケーションも簡単になったし、学習者が問い合わせをすることも可能になりました。やがて、そのグループではたまにMonoxerの話だけではなく、日本においての生活についての質問も出てきて、「マックス相談窓口」みたいになっていきました。(笑)

Monoxerを利用しているウクライナ避難民の学習者組織のロゴ

ウクライナ人のユーザーが増えてきたとき、日本語を勉強する問題だけではなく、楽しく学習できる問題集を作ればよいじゃないかと思い、作り始めました。そして、それがきっかけで、逆に日本人に向けて、ウクライナ文化についての問題集を作っても面白いと思いました。そこで、ウクライナ文化をMonoxerで学習する大会をモノグサ社内で行いました。3週間モノグサの人たちには私が作った問題集を学習していただいて、4週間目のところで小テストを実施したのです。結果、経営企画の山本さんが優勝しました。

左側:問題例・右側:私と優勝した山本さん

また、資料の翻訳にも取り組んでいました。モノグサには元々学習者向けの資料が多くありますが、当然、日本語で書いてあります。それをウクライナ語にするのも私の仕事でした。もう数えきれないほど訳しましたが、翻訳者のスキルも上がってきたと思います。

起死回生

しかし2023年になって、新年上旬は私にとって良くなかったです。その時期は日本におけるカルチャーショックに悩んでしまいました。同時に、プライベートでも色々と複雑な件があったし、通っているウクライナの大学は受験期間だったし、ほぼ毎日、忙しく仕事もしていました。それがもう我慢できなくなってしまったのは、ちょうどモノグサのオフィスにいたタイミングでした。

大学の受験は超難しくて、終わってから、私は自分の席に座っていました。だいたい夜の22時だったので、オフィスには私と一緒に広報チームで働いている大場さんしかいませんでした。もうよく覚えていませんが、大場さんと雑談をしたところから、どんどん私の中にあった悩んでいる気持ちが出てきてしまいました。そのまま涙が出てしまい、久しぶりに全然止まらないほど、泣いていました。「人前で泣くのは、恥ずかしいじゃないか」という人もいるかもしれませんけど、その時の大場さんの思いやりのある行動とサポートのおかげで、私はすごく安心することができました。今でも非常にありがたく思っています。

マックス先生

Monoxerを利用しているウクライナ人がどんどん増えることで、私への相談も増えてきました。「日本語の一番早い勉強のやり方は何ですか」、「JLPTは何ですか」、「日本ではクレジットカードはどうやって作れますか」などの幅広いことが聞かれることになりました。

オンライン説明会の様子

特に私にとって大きく印象に残ったプロジェクトは「JLPTクラス」です。以前からMonoxer上で、日本語能力検定(JLPT)に関する問題集は作っていましたが、受験の合格に向けて本格的に取り組むクラスを作りました。それで、2023年7月の試験に向けて、2023年3月からMonoxerにある「学習計画機能」を通じて計画的な学習を実施していました。

結果としては、10名弱の方が申し込んでくれて、何名かは途中で学習を辞めてしまいましたが、3名がJLPTに合格しました。この結果によって、2023年12月の試験に向けて115名が興味があると応募をいただきました。詳しくはこちらのプレスリリースをご覧ください。

絆も大事

私はいつも周りの人を大事にしようと思いつつ、なるべく思いやりがある行動を心がけています。モノグサに入社してからもその気持ちは変わらず、自分が働いている広報チーム以外でも同僚たちと接したり、ゲームをしたりしています。

2022年10月からオフィスの席では法務部に勤めている良知さんと近くになりました。わからない言葉やわからない日本文化があったら、いつも良知さんに聞いて、教えてもらっていました。
会社の初めての懇親会もよく覚えています。私はしゃべるのが大好きなので、沢山話していました。(笑) すごくフレンドリーな雰囲気で面白い話をしていて、今でも思い出したら、笑ってしまうエピソードが多いです。

お正月のパーティーも面白かったです。その時は一緒に働いている人たちに対する感謝の気持ちがすごく強くなってきました。

今まで読んでくれたら、マックスという人間は非常に社交的だとわかってきたと思います。お正月のパーティーのとき、みんなの意見を聞いて、「バーマックス」というイベントを行おうと考えて実施しました。前に述べたとおり、私はバーテンダーの経験があります。日本では年齢的に自分がお酒を飲めないとしても、作るのはだめではありません。

花見会

私が直接かかわっているのは広報チームですが、部署を問わず、モノグサの社員たちと交流するのが好きです。
例えば、オフィスでたまに開催されているビジネスチームの懇親会にはたまに顔を出すと、「あ、マックス、入って!」という風に歓迎していただいています。

初めてオフィス外のアクティビティにも参加させていただきました。最初に参加したのは花見会でした。その時、飲み会の準備していたチームにジョインして、過去のバーテンダーの経験を使ってお酒と音楽を担当していました。

一緒に旅行へ行ったこともあります。5月ぐらいに同僚たちと集まって、レンタルカーに乗って、小田原へフォレストアドベンチャーをしに行きました。

小田原旅行の時にとられた写真

後で、温泉でしゃぶしゃぶを食べてから、温泉に入りました。非常に良い一日で、思い出もいっぱいです。一緒に遊びに行ったひとたちには大感謝です!

新しい役割を通して新たな段階へ

2023年春のタイミングで出勤時間が週2回から週3回になってきました。それと共に、かかわっていなかった仕事にも対応し始めました。

今ご覧になっているモノグサのnoteには色々な記事がありますよね。そちらの掲載サポート業務は2023年3月に私の担当になりました。noteだけではなく、techblogの掲載サポートにもかかわっております。また、モノグサのメディア掲載シートの管理も、私の仕事です。

結論

今後も、諦めずに何回も新しいチャレンジをします!どれくらい難しくても、新しい知識やスキルを身につけたいです。最近も新たな仕事を任せていただいているので、そちらの期待に応えたいです!あらゆる目標でも実現できるようになるために、とりあえず日本語能力を物凄く上達させないといけないとも思っています。勉強はいつまでも終わらないという風に考えています。

モノグサで1年間働いたら、仕事の内容よりも、誰とやるか、というのが大事だとわかってきました。年齢や国籍を問わず、人間性が大事で、相手に自分の本音を伝えることができたらお互いに本当の気持ちを教えてもらえるはずだと信じています。

私は、今19歳です。若者だからこそ、いつも新しいところへ行きたいし、エネルギーがあふれている性格で迷わずに行動したいことが多いです。

ただ今は、モノグサで自分に出来ることをやりたい気持ちを強く感じています。いろいろな条件が合わさって、いい人・いい仕事・いいところ・いいタイミングの状態がモノグサで見つかりました。

モノグサの発展性はすごく高いと思っていて、「全人類に届けるのを諦めない」という行動指針があるので、モノグサはいつか海外に進出すると思います。その時にも役立てたら嬉しく思います。モノグサでの私のストーリーはどれくらい長くなるかわからないですけど、私の人生にとっても大事な期間をもっと作りたいし、教育の世界もより良く変えたいと思っています。

この一年間お世話になった人、改めてありがとうございます!これからもよろしくお願いします!